無計画小説。


 まさか、日本ですらないとは思わなかった。

 遠ざかっていく島を眺めながら茜はしみじみとため息をついた。茜の街とそっくりに造り上げられたあの「街」は大爆発を起こし、爆音と煙をあげていた。

 本当に間一髪だった。街のあらゆるところに仕掛けられていた爆弾が一斉に爆発する間際に、茜たち一行は柊の用意した小型船舶に乗り込んだ。

 あの時、ハマがヤマの体を貫いた直後。取り乱していたハマを柊はずいぶんパワフルかつ素早い動きで車に担ぎ乗せた。そして全員が乗ったところで柊は目にもとまらぬ猛スピードで街を駆け抜けた。そして、着いたのが海岸だった。

 そこで茜は初めて、街が島の上に造られたことを知った。外から見ると、街を囲む城壁がいかにも人工的で嘘っぽい。ヤマがとんでもなく世間知らずでなければ、誰だって実在の街ではないと気がついただろう。

 船はぐんぐん進んでいく。

 この船はな全自動操縦システムを搭載している、すごいだろ? わたしが設計した。と柊は自慢げにのたまった。

 結局この人の専門分野はなんなんだろう。茜は首を傾げた。直接訊ねてみようかとも思ったが、わたしに不得意なことがあると思うのか、と返されそうな気がしたのでやめておいた。

「あ〜あ、あそこの研究所は実に高給だったのに。これで完璧に失業だ。それとも殺されるのかな?」
 柊は皮肉げに口の端を上げた。

 見て見て。とハマは陽気な声をだした。こんな時、無闇に明るい声は、暗い気分でいるのを馬鹿らしくさせるらしい。こういう時だけは便利な声だな、と茜は思った。

「空が茜ちゃん色だねえ」
 いきなり何を言い出すのかと訝しげにハマの方を見る。目線の先には燃えるような夕日が空に浮かんでいた。

 茜色、ね。

 朝目覚めた時から夕暮れまで。今までのことがたった12時間程度の間に起こったなんてとても信じられない。

「綺麗な色だ」
 それは弱々しい声だったが、はっきりと聞こえた。

「ヤマちゃん! 目が覚めたの?」

「ああ、どうやらな」
 自分が生きていることを素直に喜べないらしい。表情が強張っている。しかし、感情が表に出にくい彼は、たいていこんな顔なので、本当のところよくわからない。

「だーから、言ったろ。ヤマの生命力を舐めるな、と。胸を貫かれたくらいじゃ大丈夫なんだ」

 柊は、実験が失敗した場合には、すぐに逃げ出すことを最初から念頭に置いていた。でなければ、こうして密かに船を用意したりするわけがない。

 ハマが躊躇なくヤマを殺せるはずがないことを見越していた。ただヤマとハマを連れて逃げるのでは駄目だった。遠隔地にいる本部の連中が、爆破を決めるまで粘ってもらわなければならない。爆発の混乱に乗じて逃げなければ意味がなかった。

 しかも、街の隠しカメラの映像はハマがヤマを貫くところまでが記録されているはずである。本部の連中はヤマが死んだと判断するだろう。少なくとも、今のところは。すべて計算ずくだった。

 しかし、ヤマが本当に生き延びられるかどうか、それだけはギリギリの賭けだった。

 ヤマの心臓は一度完全に停止した。しかし、すぐに脈が戻った。本当に恐るべき生命力である。

 船が海原を進んでいる間にヤマの肌の色は完全にもとに戻っていた。ヤマは横に寝かされたまま、少しだけ苦しそうに吐息を漏らすと、茜を見上げた。

「生きてて、よかった」
 ヤマのつぶやきは、心の深い深いところから吐き出したような、そんな一言だった。

「生きててよかった……? それはこっちのセリフだって」
 茜はうっかりすると泣きそうだった。けれど、気の強い茜は気力で涙を押しやった。

「どうしてあんなに怒りが湧きあがってきたんだろう。あなたが、柊に撃たれたと思い込んだ時に。どうしても自分が抑えられなかった」

「ヤマちゃあん、それは僕が思うに……」
 ハマが言いかけた時、すぱーんと見事な音を響かせて柊にその後頭部をはたかれた。

「余計なことは言わんでよろしい。ヤマに自分で考えさせろ」

「え〜。何のことですかぁ?」
 ハマはとぼけ顔でヘラヘラと笑った。それで、言わんとしていることがなんとなくわかってしまった茜は顔を赤らめたが、夕日に照らされて誰も気がつかなかった。

「すまない。本当に」
 ヤマはまだ謝り続けた。

「ちょっとちょっと、なんでも辛気くさくするのはヤマちゃんの悪いくせだぞぉ?」
「しかし……」

「実験が終わったら、旅に出るんでしょう? 今からが、旅の始まりなんだから。僕としては、ガイドブックとか大量に買い込んで、色々計画をたてた後に旅に出たかったけど、行き当たりばったり無計画の旅も面白そうじゃない」

 ヤマは茜のことがやはり気になるらしい。視線を申し訳なさそうに茜のほうに向ける。

「すまない。強制的に連れていくことになりそうだ」

「別に。どーなるかなんて後で考えることにするよ」
 実際、不思議と嫌悪感はなかった。このままのメンバーで旅をするのも悪くない、とさえ思っていた。

「ふ、甘いな」
 柊はなんとも高飛車な笑い方をした。

「これだけ大掛かりな実験を計画できうる財力を持つ研究所の連中をあまり甘く見るなよ」

 まあ、脱出成功めでたしめでたし、なんて簡単にいくとは思ってなかったけど。茜は小さくため息をついた。
 この先の自分の人生が本当にどうなるかわからなくなってしまった。

 一同の視線が集まる中、柊はみなを脅すように、しかし、どこか事態を楽しんでいるような目配せをした。

「これから始まる逃走劇は、本当の意味でのサバイバルゲームだ。あくまで、ノープランの、な」

 

 <了>  


ささやかなオマケ 

あとがき

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