赤、赤、赤、なに? これ?


 唐突にブザーが鳴った。何かを知らせる合図みたいだ。電話の音だと気がついたのは、柊が近くにあった受話器をとって耳に当てたそのすぐ後だ。
「少女一名を無事保護、か。了解した。定刻まで、おとなしく待機させていろ」
 そんな短い言葉だけで、柊はすぐに受話器を置いた。

「やっぱり、私の他にもまだ残ってる人がいたんだ」
「ああそうだ。逃げ遅れた、という設定で我々が連れ込んだ」
 茜は露骨に眉をひそめた。「設定で」という言い方がいかにも人ひとりの存在を軽んじていて、酷薄な感じがした。

「この三日間、ヤマとハマは街中の「退去」していない住人を救助して回っていた。ほとんどはこちらが用意した人物だ。頑固だったり泣き喚いたりと、様々な役を割り当て、演じてもらった。まあ、すべてを取り決めていたこちらからすれば、他愛もない『ごっこ』のようなものだが、それを知らないヤマにとっては真剣そのものだったろうな」

「ごっこ?」

「覚えているかな? ヤマがあなたにこんなことを言っていた。これから始まるのはサバイバルゲームだ、と。本当にただのゲームだったということだ。本人がそれを知らずに言うとは、なんともはや、皮肉な話だ」

「どうすれば、勝ちになるゲームなんですか」

「この街にいるすべての人間を無事に救助し、本部にゴールすれば、ヤマ・ハマ組みの勝ち。それができなければ、負け。どうだ。単純だろう? しかし、予測が困難な要素が混じらなければ、ただの茶番だ。それでは意味がない。だから、あなたや今保護されたと連絡が入った娘のような何も知らされず、誰の指示も受けていないキャラクターが必要だった」

「どうしてそこまでして」
 遺伝子操作されたバケモノのが兵器として使えるかどうかためす――最初に聞いた実験の目的も、あまりにも残酷で、それ故に滑稽で馬鹿らしくも思えた。しかし、それなりの説得力はあった。道徳的にはありえないと思ったが、そういうこともあるかもしれない、という程度には納得した。

 しかし、「ただのゲーム」という説明ではこの実験の意図がまったくわからない。

「このゲームは、鍵を手に入れるための交換条件だ。鳥かごの扉を開けるためのな。しかし、容易には渡したくない、渡すわけにはいかない鍵なんだよ」

 鳥かご……。柊は例えを乱発するくせがあるらしいことに茜はようやく気がつき始めた。しかし、そのせいですべてを抽象的にぼやかすような印象を受けた。

「ハマが言っていただろう。自分は誘拐された、と。あれが数少ない真実の一つだ。このゲームに勝てば、これから研究所の干渉を受けない、つまり、政府の束縛からヤマもハマも開放される。そういう約束を取り決めた」

 少しずつわかってきたような気になった。しかし、この実験は世界を左右するという先ほどの柊の発言と結びつかない。

「二人が自由になるってことですよね? じゃあ、なんでヤマだけがターゲットにされているんですか」
 柊は茜の質問には答えず、腕時計に視線をやった。すると、やおら立ち上がった。

「じゃ、行こうか」
「は? どこへ……」
「時間がない。ゲームも終盤戦だ。後少しで決着がつく。わたしはヤマとハマのところへ行く。最後まで知りたいと思うならついてくるといい」

 あの、と茜は生徒が教師に質問する時のように片手を挙げた。
「ちなみに、柊さんはどっちサイドの人間なんですか」

 柊は不敵に笑った。
「わたしが敵側の人間に見えるか?」

 正直、見える。しかし、今の言葉を素直な見方で解釈すれば、ヤマの味方ということになる。なんとなく安心した。そして安心してから、この短い間にヤマとハマに対して愛着が湧いていたことに気がつき、驚いた。

 茜が後からついてくる意思を見せたことで、柊はにやりと笑った。

「あなたなら、ついてくると思った」

 ゲームも終盤戦。柊の言葉が茜の胸にひっかかった。
 勝手に参加させられたこちらとしては非常にいい迷惑だ。しかし、ここまで来たからには、途中で降りるわけにはいかなかった。茜の勝気で好奇心旺盛な性格が、そうさせなかった。

 そうして、柊に付き従って別室に移動する。

 部屋の中央に置かれていたのは車だった。セダンタイプのごく一般的な乗用車だ。磨き上げられた車体が展示品さながらに輝いている。

 え、ここ地下ですよね? と茜が聞く前に、あたりを見回してなんとなく察しがついた。部屋の空間の広さから推理するに、この部屋自体がエレベーターになっていて、地上までせり上がる仕組みになっているようだ。

 柊はポケットから小型のリモコンのようなものを取り出す。車のロックを遠隔から解除できるキーだった。
「さあ、どうぞお乗りください。お嬢様」
 柊が芝居がかった口調で後部座席の扉を開けた。

 世界を左右する実験。ヤマ一人のために造られた街。ゲームに勝てばヤマとハマは自由。
 その三つが茜の中で渦巻く。

 そして、ゆっくりと二人のいる部屋は地上へと上昇していった。



 柊の運転で車を走らせると、ヤマとハマも本部に向かっていたせいか、拍子抜けするほどすぐに二人の姿を見つけることができた。
 なので、柊がしてくれるはずの説明の続き、とやらもほとんど話してもらえてなかった。

 が、今まで一緒に逃げてきた連帯感からか、二人の無事な姿を確認すると、茜はうっかり泣いてしまいそうだった。 二人の姿を肉眼で確認した後、すぐに車を止めると、柊がさっさと運転席から降りたので、茜もそれにならう。

 それに気がついたハマが、あ、茜ちゃんだ〜、と手を振りながら駆け寄ってくる。もちろんヤマも一緒だ。

 しかし、
「止まれ。そこを動くな」
 柊は出し抜けにそう叫んだ。合流するのが目的だったはずだ。なぜそんな発言をするのかわからない。

 そう思っているのは茜だけではないようで、ヤマとハマは言われたとおり立ち止まったものの、釈然としない表情でこちらを見ている。

 すまない、柊は唐突にそんなことを言った。え、と茜が振り返ると、やけに神妙な表情の柊の眼差しがあった。

「先に謝っておく。あなたには何の恨みもないが、どうか許して欲しい」
「それ、何の話ですか?」

 柊が胸元に手を突っ込み、何かを掴む。白衣の下に何か隠していたようだ。

「茜ちゃん!」
「おい、何をする気だ!」
 柊の仕草を見ていたハマとヤマは同時に叫んだ。しかし、その叫びを打ち消すかのように、銃声がとどろく。

 茜は急に頭が真っ白になり、状況が把握できなかった。

 一体自分の身に何が起こったというのだろう。胸のあたりが一瞬のうちに赤く染まり、しかも、そのシミは急速に広がっていく。

「な、なに……」

 柊は気取ったようなポーカーフェイスで茜を見下ろしていた。手には銃。

 茜の体がぐらりと揺らぐ。柊が倒れきる前に抱きかかえるようにして支えた。しかし、受け止められた体は筋肉が弛緩したように、だらりとしている。まるで操り人形の糸が切れたようだ。

 無人の街において、口を開く者がいなくなれば、おのずと静寂が訪れる。銃声を合図にして、水を打ったような静けさに辺りが包まれた。
 その静寂を最初にやぶったのはヤマだった。言葉にならない声で叫んでいる。いや、それは叫びというより支離滅裂な喚きだった。
 喚きながら、柊と茜に駆け寄ろうとするヤマをハマが羽交い絞めにするような形で止めにはいった。

「ダメだよ。ヤマちゃん。落ち着いて」
「放せ、ハマ、止めるんじゃない。おい! 柊、なんで撃ったんだ。なぜだ!」

「この娘は国家の重要機密を知りすぎた。こうする他なかった」
「ふざけるな。せっかく救助したのに、ノコノコと連れてきやがって、何が知りすぎてるだ! 逃げ遅れた者に状況を説明しろと指示したのはお前だろ」

 ヤマの怒鳴り声に対して、柊は、わかってないな、と嫌味をたっぷりにじませた声で応じる。
「どうせ殺すのだから、中途半端な情報しか知らないままだなんてかわいそうだと思ってな。せめてもの手向けだ。言わば、私からの温情だよ。ヤマ」

 茜から流れ出す赤が、柊の白い服を染めていた。その光景は、何か抽象的で難解な前衛アートのようだった。
 柊は動かなくなった茜を抱きかかえたまま、車のドアを開ける。そして後部座席に茜の体を横たわらせると、素早く運転席に回った。

「待て、どこに行く気だ」
 後ろから押さえるハマを振りほどこうと、体をよじる。

「ヤマちゃん、頼むから気を静めて」
 ハマも力の限りをこめてヤマを止めようとする。

「ハマ、お前はなんとも思わないのか」
「そんなわけないでしょ。だけど、気を高ぶらせたってどうにかなる問題じゃないじゃないか」
「ふざけるな、今ならまだ助かるかもしれない。見殺しにするのか」
 ヤマはひたすら放せ、と怒鳴る以外は、ただわめいているだけだった。口から出る言葉は意味をなしていなかった。

「ヤマちゃん……」
 ヤマの名前を呼ぶその声さえも、次第に彼の耳には届かなくなっていった。


 ぷちあとがき

 うん。どうなんでしょう、この展開。ひっぱる気はサラサラないので、次の話をどうぞ、クリック。

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