なんだそりゃーと叫んでひっくり返りたい。


 畳のあった部屋の向こう側は、だだっ広い部屋だった。ちょっとしたイベントが開ける程度の小講堂くらいはありそうだ。

 柊はそのまま部屋の奥まで歩いていき、椅子に深く腰掛けた。そして長い脚を組む。その一連の動作はすごく様になっていた。
 ところが、向かいに椅子は用意されていない。
 え、自分はそんな座り心地のよさそうな椅子に腰掛けて、私には突っ立っていろってーの?

 なんて勝手な……、と思ったものの、文句が言いづらい雰囲気だったので、茜は疲れて猫背のまま突っ立っていた。この人物に楯突こうものなら、物陰から筋骨隆々のSPが一斉に飛び出してきてきそうな、そんな威圧感がにじみ出ている。

 目の前にいる人物は、ハマの話を聞く限り、政府関係者。おまけにこの大掛かりこの上ないプロジェクトの立案者だとか言っていたから、単純に考えれば、偉い人。

 そして……、ハマの口から出た言葉が茜の脳裏に浮かび上がる。

 誘拐。そんな人権を無視する行為に加担している連中の一人なのだ。
 茜はなんとなく、丁寧語で話してしまう。

「あの、私、この 付近一帯に退去命令が出てることも全然知らなくて、何がなんだかよくわからないんですけど……二人からも多少説明は受けたんですけど、まだよく……」

 誘拐という単語が頭にちらついて、おどおどした口調になった。救助という名目を信じきり、ここまで来た。が、もっと慎重に疑り深く考えるべきだったかもしれない。政府の極秘計画を知ってしまったことから、口封じのために消される――そんな可能性を茜は初めて危惧した。

「本当に恐ろしいものは、なんだか知っているか」
「は?」
「情報の制限だよ」
 恐ろしいもの? 情報の制限? 唐突すぎる話の始め方に茜はついていけない。

「暗闇を本能的に恐れるのは、視覚的情報が大幅に奪われるからだ」

 一体なんの話をしているのだろう。何が言いたいんだろう。茜が当惑している中、一言も口を挟めないまま柊は淡々と話を続けた。

「そして、人間を恐怖に陥れるための効果的な方法は、情報を制限するとともに情報のコントロールを行うことだ」

「…………」

「たとえば、目隠しをされた人間は地面からわずか五センチしか離れていない平均台の上に乗っても怯える。しかも、そこが地上遥かにあると教えられ、それを信じた人間の恐怖は、計り知れない。足をすべらせたら死ぬと思い込むからな。どう転んでも死ぬような環境じゃないのに、だ。…………その時の恐怖。今、あなたが抱いているワケのわからぬ恐れとそう変わらないはずだ」

「…………え?」

「この街にはありとあらゆる場所にカメラが仕掛けられ、かつハマとヤマには小型マイクを携帯させている。つまり、あなた方の会話はすべて聞かせてもらった。ハマとヤマが何かいろいろ説明しただろう?」
 茜は黙ってうなずいた。
「それらは全部嘘だと思ってもらいたい」

 どってーんとその場に大げさに倒れて、なんだそりゃーと叫んでやろうかと思った。しかしそんな雰囲気ではないので自粛した。ハマが嘘つきなのはもう十分わかっていたが、ヤマの発言までが嘘だというのは意外だった。

「ど、どこから、どこまでが……?」

 柊は目を細めた。

「少しくらいは真実もまざってはいるが、微々たるものだ」
「生物実験って言うのは」
「嘘だ」
「この中に死刑が確定した囚人がいるとか」
「もちろん嘘だ」

 ええ加減にせえや、と普段使わない言葉遣いでハリセンチョップをくらわせてやりたかった。が、ハリセンが手近になかったので、思い直した。余談だが、茜はベタなお笑いが大好きだった。

 ああ、お笑い番組がみたい……茜は遠い目をした。現実を直視しきれなくなってきた彼女は、現実逃避をしかけたが、なんとか踏みとどまった。
 
「二人を怒らないでやってくれ。そういった嘘は内容も含めて全部わたしが仕組んだことだ」

「あなたが仕組んだ?」
 そうだ、と柊はきっぱりと言った。

「あなたのような『知りたがり』に状況を説明をする際、どういった表現でどう言葉にするか、すべてわたしが指示した。……そうだな、もう少し、具体的な話をしようか。そこの布をとってもらえるかな?」

 柊の視線を追うと、キャスターつきの台があることに気がついた。その上に載っているものは緑色の布がかぶされ、見ることができない。長方形のシルエットをしていることだけはわかった。

 茜は台に近づき、布をどける。現れたのは、透明なガラスケース。その中はジオラマだった。様々な形状の建物がかなり忠実に作られた道路や線路の周りに設置され、街路樹までが精巧に作られていた。
 茜はそのガラスケースの中身を凝視した。

 ふと、駅や建物の配置に見覚えがあることに気がついた。それは茜の住んでいる街を模したものだった。間違いない。

「まあ、いわゆる箱庭というやつだな」
 柊は脚を組み替えながら言った。

「人間、パニック状態に陥ると判断力や観察眼が著しく鈍くなる。普段寝起きしている自分の部屋とまったく別の部屋とが区別できなくなる」

 今、なんと言った? 茜は耳を疑った。

 『自分の部屋』と『全く別の部屋』とが区別できない?

「ここはあなたの住む街じゃない。何もかもそっくりに作られた別の街だ。窓から景色を観たか。ちょっと見ただけじゃ違和感はないはずだ。家の中もだ。家具の配置から食器棚の皿の数まで忠実に再現されている。そう、言わば、」
 柊はそこで一旦、言葉を切る。

「精巧な箱庭だ」
「だって、退去命令が出て……だから人がいないんでしょ?」

「すべて、嘘だと言っただろう? 退去命令など出てはいない。あなたの隣人は今日もいつもと同じように平和な日々を謳歌して過ごしている。あなたを含めた、数人を抜きにしてね」
 柊は皮肉っぽく言った。

「住人を我々で選び、夜のうちに移送させてもらった。昨日はいつもよりぐっすり眠れたんじゃないか? クスリを使わせてもらったからな」
「…………」

「目が覚めたと思ったら、知らない人物がいてさぞ驚いただろう? しかし、あなたは疑問には思わなかったのか? どうして勝手に入ってこられたのか、と」

 思ったことには思った。しかし、不法侵入の手口なんて普通じゃないだろうと考えたし、正直、朝の起き抜けの段階では目の前に長身の男二人組みに怯えてそれどころじゃなかった。
「答えは至極簡単だ。鍵を持ってるからだよ」
 そう言って柊は白衣のポケットから鍵を取り出し、茜の顔の前に掲げた。

「これ一つで、この街の家の鍵はすべて開く。同じ規格なんだから当然だ。なぜ同じ規格なのか。我々がそういうふうに造ったからだ」

 退去命令が出ていると聞かされてた時、まさかとは思ったけれど、街に誰もいないという事実を目の当たりにして信じざるをえなかった。秘密裏に交番やその地下に通路を造るなんて、信じがたかったけれど、巨大ハトに追われていて、おかしいと思う心の余裕なんてなかった。
 
 しかし、だ。街一つを、しかも普段暮らしている茜が気がつかないほど忠実に造り上げるなんて、そんな並外れたスケールの話など、信じられない。

「そんな、ありえない」 
「ありえない? それだよ。その思い込みがあらゆる可能性を考える思考力を奪う」

「それに、私を騙したって何のメリットがあるのよ」
 そこで柊はやれやれと、首をわずかに振った。

「あそこまで心身とも疲労を強いておいて申し訳ないのだが、あなたを騙すことがこの計画の目的ではない」
「じゃあ……」

「しかし、『騙す』というのは中々によい着眼点だ。そう、この実験は一人の人物を騙すための行っている」

 たった一人のために造られた街。なんだろう。胸がどうしようもなくざわついた。

「ヤマとハマがあなたについた嘘には決定的な違いがある。ハマは事実ではないと知った上でお前に教えたが、ヤマは真実だと疑っていない。我々がもっともらしく嘘の情報を伝えたのだからな。

「つまり?」
「この壮大な仕掛けのターゲットは、ヤマだ」

 ヤマの姿が茜の頭の中に浮かんだ。黒い髪、色白の、あの男。

「ヤマがこの状況にどう反応し、どう対処していくか、それを見るための実験だ」
「それだけのためにそんな大掛かりなことを?」
「そう、それだけだ。しかし、それが世界を左右することになる実験だ」
「世界を左右?」
「ただの道楽で、ここまで大掛かりな『街』を建設する奴などいない」

 沈黙が訪れる。茜はうつむきながら、今聞いたことを必死に整理しようと思考をめぐらせる。けれど、理路整然とまとめることなんてとてもできそうになかった。
 柊は、座ったまま、そんな茜を眺めていた。彼女に対して、同情しているようであり、面白がっているようでもあり、また、まったく関心がないともとれる、微妙な表情だった。

「今度こそ、「嘘」は打ち止めですよね? もう「やっぱり嘘でした」なんて嫌ですよ」

「嘘ばかりで何が本当なのか混乱するのもわかる。混乱させるようにハマに仕向けさせたからな。しかし、今回ばかりはわたしは嘘を言っていない。疑うなら外に出てもいい」

「外? だって、せっかくあのバケモノがいない安全な場所に避難したのに」

 すべてが嘘だと柊は言ったが、あの巨大なハトはこの目で見た。あの存在が嘘のはずはない。

「巨大生物はすべて我々が徹底的に管理している。発現場所も、そして回収と保護も。まあ、生き物なので、多少計算外の行動をとられることもあるが、おおむね想定した範囲を出るものではない。危険なのはヤマの周辺だけだ」
「ヤマの……?」

 そうだ。と柊は茜の目を見て言った。
「あのバケモノは常のヤマの周りにのみ、発現するようにしている」


 ぷちあとがき

 ハマが善良そうな顔をして人を騙すところを書くのもずいぶん楽しいんですけど、

柊の「オレさまは女王様よ?」的態度も書いていてすごく楽しいです☆わたくし、嫌な奴を書くのが大好きみたいです。あははは。

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