もう何があっても驚かない。絶対驚いてやるもんか。って思ってはいるんだけど。
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え、誘拐? と、茜が聞き返す。ハマは笑顔のままうなずいた。
「で、そこで言われたんだ。お前は今日からハマだよ、って。それから僕はハマなんだ」
誘拐、などという犯罪行為の名称をさらりと言えるハマが茜には不可解でならなかった。しかし、よくよくハマの表情を観察してみると、感情を押し殺しているように見えなくもなかった。
「なんのためにそんなこと……」
「なんのため? この実験のためだよ。今日、この大掛かりな実験のために僕は十年間を費やすことになったんだ」
生物実験、人体実験、誘拐……。今日という日は非人道的な単語ばかりが飛び出す。なんて嫌な日なのだろう。茜は眉をしかめて、誰かを責めたい気分になった。
「だから、この十年間が無駄にならないためにも、僕はこの計画を成功させなきゃいけない。でも」
そこで、一拍置くとともに、ため息をついた。心底嫌気がさしたような息の吐き方だった。しかし、ハマという男は深刻そうな表情が苦手なのか、何か意図があるのか、顔は相変わらず能天気そうに緩んでいる。
「計算しつくされた計画のはずだったのに、少しずつ計算が狂ってきているみたいだ」
ハマはそこでコーヒーを一口飲んだ。と、何かを察知したように視線が一瞬動く。それから口の端を片方だけ上げて、意味深な笑い方をした。
「ま。もっと詳しい話は、僕じゃなくてこのプロジェクトの立案者に説明していただきましょうか」
不意に首の角度をあらぬ方向に曲げる。その先にあるのは、コンクリートの壁だけだ。他には何もない。
「そうですよね、柊さん」
その瞬間、壁に直線的な裂け目が入り、その部分が盛り上がった。
「えええー」
茜が驚きの声を上げていると、長方形に切り取られたような壁がくるりと反転した。忍者屋敷にあるような回転式の隠し扉だ。
柊(ひいらぎ)と呼ばれた人物が現れた。黒っぽい服の上からノリのきいた清潔感漂う白衣をまとっている。
男なのか女なのか、判断に困る顔をしていた。顔や体の線はどちらかというと細いのだが、優男風にも、長身の女性のようにも見えた。
「このおしゃべりめ。いつまで長々としゃべっているつもりだったんだ」
「すみませんねえ。つい話が弾んじゃって」
ほんの数秒緊迫した空気が流れたが、柊は何事もなかったかのように白衣の襟を正した。
「ここはいいから、さっさとヤマの援護に向かえ。現在位置はCの17地点だ」
声には品があり、かつ、しゃべり方には威厳があった。生まれながらにして王子さま気質を持ち合わせた単なる偉ぶった輩でなければ、それなりの地位にいる人物であろうことが推察できた。
声を聞けば、性別がはっきりするかと思ったが、ますますわからなくなった。やや低めではあるが、なんとも中性的な声質だ。そのへんがミステリアスで、この人物の魅力なのかもしれない。だが、今の茜には「謎めいた雰囲気」はもうたくさんだった。
「了解でーす。直ちに、ヤマちゃんの援護に向かいます」
相変わらずふざけたような口調で返事をすると、じゃあ、茜ちゃん、また後でね〜と、簡単な挨拶をして、ハマは元来た狭い通路へと姿を消した。
こうして茜は突如として現れた人物といきなり二人きりにされてしまった。
「ことの真相が知りたいのなら教えよう。だが、その前に場所を変えてもよろしいかな。わたしは軽度の閉所恐怖症でね。この部屋は息が詰まる」
よろしいかな、と疑問形を使っておきながら、茜の返事を待たずに壁の向こう側へさっさと行ってしまう。
また変な奴が出てきたあ、と茜は非常にげんなりした気分になった。が、ここまでくると、もうどうにでもなれ、という自暴自棄一歩手前の境地になってくる。
茜は大人しく柊の後に続いた。
どうしてこの不審者はここの家の鍵を持っているのだろう。早希は謎が深まった男の顔を見上げた。一方、ヤマの視線は、一点に固定されたまま動かない。視線の先を追うと、少女もまた釘付けになった。
部屋の中にいたモノ、それは、巨大な蛇だった。
顔の部分だけで、成人男性が膝を抱えた程度の大きさがある。つまり、言い換えれば、大人の男一人を簡単に飲み込めるということだ。
鍵がかけられていたということは、蛇が自力で入り、自分の意思でこの部屋に立てこもっていたとは、考えられない。確実に、人為的な意思が介入している。
と、いうことは、本部の人間の仕業ということだが、そんな話は聞いていない。ヤマは混乱した。
ヤマと早希が固まっていると、巨大な蛇が、二人を視界に捕らえたようだ。ゆっくりと鎌首をもたげる。
ヤマは早希を自身の腕でかばうようにしてあとずさると、素早くドアを閉める。そして間髪入れずに再び鍵をかけた。
脅威が視界から消えたことで、一瞬安堵の空気が二人の間に流れた。想像を絶する大きさの蛇を間近に見てしまった早希の涙はいつの間にか止まっていた。
ところが、安堵したのもつかの間、金属を殴打する音が空気を震わせた。なんとも不吉な音はドアの内側から発せられていた。蛇が中から強烈な体当たりを仕掛けているのだ。
ヘビってそういう生き物だっけ? 早希は思い出そうとしたが、蛇の生態に興味をもったことがないのでよくわからなかった。
鉄製のドアが歪んだ。その歪みは徐々に大きくなる。ドアが突破されるのは、時間の問題だ。
ヤマは迷うまでもなく手を引いて逃げることにした。今度ばかりは早希も大人しくついてきた。
建物のちょうど中央に位置するエレベーターホールまで駆けた。二基あるエレベーターはヤマがこのマンションに訪れた時点ですでに電源が入っておらず、使用は不可能だった。そのため、彼は非常階段を使って六階まで上がってきていた。その非常階段へ続く扉はエレベーターホールのすぐ脇にある。早希と手をつないだままのヤマが勢いよく扉を開けた。そして、また固まることとなった。
先ほどまでは確かに何もいなかったはずのその場所に、巨大蛇がいた。茶褐色の斑点が浮かぶ黄金色の鱗が不気味に艶光りしている。狭い階段を窮屈そうに、しかし器用に上っているところだった。
ヤマは再び、扉を乱暴に閉め、内側から鍵をかけた。逃げ場を失ったことで、各部屋の扉が均一に並ぶ廊下までとっさに舞い戻った。が、その瞬間、破壊音が響いた。蛇が片方の蝶番をぶち壊した音だった。
非常口の方でも、同じく扉に体当たりする音が一定のリズムを刻んで聞こえてきた。
ヤマは少女を見下ろした。どうすればこの幼い少女をどうしたら傷一つつけることなく助け出せるのだろう。
不意に自分の名前を呼ぶ声が耳に入り込んだ。塀から身を乗り出すようにして辺りを見回すと、ヤマちゃーーーん、とハマがマンション付近で元気に片手を振っている姿が見えた。
隣に茜の姿がないことを確認して、少しだけヤマは安心した。本部まで無事に送り届けることに成功したらしい。
ヤマは身振りでここにいることを示す。と、ずいぶん物騒なものを肩に担いでいることに気がついた。
ハマが担いでいたのは、通称バズーカ砲、別名、対戦車ロケット発射器だ。戦車の装甲をも貫く威力を持つという、携帯式の兵器である。
次の瞬間、明らかにヤマと早希のいるマンションに向かって狙いを定め始めた。
「あいつ……」
ヤマはそうつぶやくなり、早希を抱え上げた。通称「お姫様抱っこ」のポーズである。
「なななな、何すんのよ。あたしに、触らないでよ。ばか。放しなさいよ。放してって言ってるでしょ」
早希はものすごい早口でわめいた。
そうこうしているうちに、ついに扉を突破した蛇が緩慢な動きでにじり寄ってきていた。
ヤマは少女をしっかりと抱きとめたまま、蛇がいた角部屋とは間逆の方向に助走を開始した。
マンションの廊下を凄まじいスピードで駆け抜ける。そして――飛び降りた。
もちろん、そこは六階。ハードルを飛び越える要領で跨いだ塀のその先には、空が広がるばかり。地面ははるか遠くにある。
「き、きゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあっっ」
早希の大絶叫が周囲に木霊した。が、次の瞬間、爆音がすぐ背後で轟き、それを掻き消した。ハマが放ったバズーカの弾がマンションの壁に当たって炸裂したのだ。
「あちゃ〜。外しちゃったよ。これ装填(そうてん)すんの大変なのに。僕射撃は苦手なんだよねぇ」
ハマは、ヤマの背後まで迫ってきていた蛇に当てるつもりでバズーカ砲を発射した。が、命中したのはそのすぐ脇の壁だった。ぽりぽりと自分の頬を掻きながら、はは、と一人で笑った。
ヤマは空中でバランスを崩し、一回転する。が、新体操選手さながらの鮮やかさで見事、両足で着地した。
そして、その体勢のまま、膝を曲げて固まっている。よく観察すると脚がやや震えていた。相当に足の裏が痛いらしい。しかし、痛いなどというレベルですむ話では当然ない。
早希は、予想だにしていなかった男の行動によって現実が直視できない上、完全な垂直落下の恐怖にやられたようだ。口を開けたまま放心状態となってしまっている。
足の痛みがやや和らいできた頃、「合流できて良かったね〜」と実に呑気な表情でハマが二人の元へ駆け寄ってきた。ヤマが六階から飛び降りたことに関して、特にどうも思っていないようである。
お前のいい加減な腕前で簡単に銃器をぶっ放すな、あと少しタイミングがズレていたらこの娘に当たっていたぞ……とヤマは文句を言ってやりたかった。しかし、安全の優先順位を何よりも重要視する彼は、その不満をぐっとノドの奥に押し込めて別のことを言った。
「ハマ、今の爆音でバケモンどもが集まりだす前に逃げるぞっ」
「は〜い」
相変わらず緊張感の欠けた口調で返事をすると走り出した。茜とともに巨大ハトから逃げていた時に比べ、二人とも相当に足が早い。あの時は、茜のスピードに合わせていたらしい。
「おい、大丈夫か。怪我は? どこか痛いところはないか」
気遣わしげな声をかけられ、早希はお姫様抱っこされた状態のまま、ヤマを見上げた。目が合った。その時、早希の乙女ヴィジョンが急速に発動した。ヤマの顔の周囲に花が見えた。それはそれはゴージャスで可憐な花が。
カッコイイ……。
どうしてこの魅力に気がつかなかったのだろう。早希は自問した。黒髪サラサラヘアーに、涼しげな目元、ちょっと怖い気もするが、正義のヒーローというのはいつだって孤独なものだ。これくらいが最高にクールじゃない!!
「ヤマちゃんが聞こえたっていう声、このコの声だったんだね〜。それにしてもよく気がついたよね。さっすがヤマちゃん」
早希は首をひねり、声のするほうへ顔を向ける。そして、並走していたハマの姿が目に入った。
人懐っこそうな大きくて丸い目、健康そうな肌の色、それに何より、このさわやかな微笑み。早希の乙女ヴィジョンというフィルターを通して見たハマは、星が眩しいほどに輝いて見えた。
カッッッッッッコイイ!
かなり、というより、もろに好みだったらしい。ハマのヴィジュアルは、早希にとって、まさに理想の具現化そのものだった。
肩に担いでいる無骨きわまりないバズーカ砲ですら、最高にハイセンスなお洒落のマストアイテムに思えてくるから不思議だ。
「あの、お名前は」
早希はもじもじしながら問いかけた。彼女自身は、精一杯おしとやかな声を出しているつもりだった。
「僕の名前はハマだよ〜。ハマちゃんって呼んでね。でも気をつけてほしいだけど、発音は「浜」と同じじゃなくて、」
「ハマさま! ステキ」
最後まで言い終わる前に早希は潤んだ声でハマの名前を呼んだ。
腕に抱えたまま、なぜかウキウキしだした少女をヤマは訝しげ(いぶかしげ)に思った。が、特に問題ないと判断して気にしないことにした。
ぷちあとがき
清水の舞台から飛び降りる要領でヤマに飛び降りてもらいました(笑)なんなの、アレは。書いてる自分がびっくりしちゃったよ!
早希にはやや妄想癖がある、という設定はちょっと前に決まっていたのですが、今回、それを前面に出せてよかったです。ええ、気がすみました。いやあ、だって茜ちゃんがあんまりにもヤマハマコンビを白けた目で見すぎだからこういうキャラを出したかったんです。
つかね、唐突に新キャラなんか出しちゃって、終わらないっつーの。無計画はまだまだ続くよ☆(自棄と書いてヤケと読みます)長くて申し訳ない。いっそ、謎の大爆発がおきて、街も真相もすべて煙に包まれてしまいましたとさ、ちゃんちゃん、で終わらせたいです(泣)
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