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駅前の喫茶店に入ると、すでに席に着いていた杉浦くんが片手をあげて私に合図している姿が見えた。今日は改めて彼のことについて話し合う約束になっていた。 杉浦くんはこの前はつけていなかった眼鏡をしていた。眼鏡をかけると杉浦くんは彼の部屋で会った時よりもやや神経質そうな印象になるみたいだ。メタリックフレームの眼鏡が照明の加減で銀色の淡い光沢を放っているように見えた。 彼と杉浦くんとのイメージがかけ離れすぎていて、どうして二人が友達同士なのかよくわからなかったけれど、やっぱりどこかしらは似ている部分はあるみたいだ。 「やっぱり、いきなり行ったのは間違いだったな。あいつを下手に刺激して混乱させちまったみたいだ。」 私が向かいの席に座ると、杉浦くんはため息まじりにつぶやいた。 「しかも、俺、何の役にも立たなかったしなぁ。あいつに会ったらなんて声かけようかちょっと考えて行ったんだけど、あそこまで痩せてるとは思わなくてさ。驚いて何も言えなかった………。俺ってばあいつの親友失格だな」 「ううん。彼がしゃべれないんじゃなくて、しゃべらないだけだってわかっただけでもよかった。彼の声聞いたのホントに久しぶり。それだけでも、杉浦くんが来た意味はあったよ」 「そうか?」 少しの沈黙。 「ったく、あいつも人に心配かけさせるのだけは天才的だよな」 語尾とほぼ同時に杉浦くんはコーヒーに口をつけた。コーヒーカップから立ちのぼる湯気で眼鏡のレンズがほんのりと曇った。それを見て、私は初めて今が冬であることを知ったような気がした。 「そうか、もう冬だったんだ……」 心の中だけで言ったつもりだったのに気がつけば口にだしていた。杉浦くんが怪訝そうな表情で、えっ、と聞き返してきた。 「なんでもない。なんでもないの……」 私は適当にごまかして本題に入ることにした。彼のそばにいられない時間が長くなると不安だったから。 けれど、彼の今現在の状態は、私や杉浦くんにとってはあまりにも難解かつやっかいなものだった。とても二人の手に負えるようなものではなかった。話し合いは堂々巡りでしかなく、ただ時間ばかりが過ぎていった。 「ま、あんまり一人で背負い込もうとしないことだな。なんかあったら連絡くれよ。気晴らしがしたい程度でも構わないからさ」 レジで会計をすませて店を出た後、杉浦くんはポンと私の方を軽く叩いてそう言った。自然でさりげない仕草だった。別に他意はないだろうし、とりたてて気にする必要もないことだ。それはわかっている。わかっているはずなのに私はまじまじと杉浦くんを凝視してしまった。私の視線に気づいたのか杉浦くんはきょとんとした顔をしている。 彼はこんなふうに気軽に手を肩に置くようなことはしなかった。そんなささいなことでも彼はしなかった。私にも決してさせてなんかくれなかった。そう決して。………それなのにどうして杉浦くんはこんなにもたやすくできるんだろう。 もしかして……。 私はどうして自分がこんなことを考えているのか少しも理解できなかったけれど、考えるのをやめられなかった。 「お願いがあるの」 言葉を口にしてから、ずいぶん長い間二人で見つめあっていたことに気がついた。杉浦くんは相変わらず不思議そうな目をしながらも何? と穏やかな口調で答えた。 「首に触らせてくれない?」 やはり杉浦くんは彼が首を好んで絞めていたことを知らないのか、私の突拍子もない発言に当惑気味に瞳を揺らし、まばたきを何度か繰り返した。それでも、拒否する理由も特にないと判断したのか、あるいはただ単に深く考えるのも面倒だと思ったのか、どうぞ、とでも言いたげに首をのけぞらせた。 私は恐る恐る手を伸ばして杉浦くんの首に両手で触れた。同時に彼が私に触っている時のことを克明に思い出そうとした。そしてできるだけ彼の仕草を真似ようとした。手の力はこれ以上ないほど弱く、手つきは優しく穏やかに……。 私の首は彼の手の中にすっぽりと覆われておさまっていたけれど、私の手は杉浦くんの首を包むには小さ過ぎた。男の人の首が女の首よりもたくましいことに今さらながら気がついた。それでも杉浦くんの肌の感触も体温も、そして脈打つ速度もはっきりと指先から伝わってきた。 彼が私の首を絞めていた理由がわかったような気もしたけれど、私なんかじゃ永遠に理解することなどとてもできないんじゃないかという絶望的な気分にもなった。 私はそろそろと手を離した。 うつむく私に杉浦くんは何も聞いてこなかった。それが果たして優しさなのかはわからなかったけれど、理由を問われても答えることなんか到底できそうもなかったから、結果的にはありがたかった。 私たちは、数秒の沈黙にじっと耐えた後、じゃあ、と言って別れた。あんまりにもあっさりとした別れ方だったので、何事もなかった、というのを通り越して知り合いですらないみたいだった。 今日、杉浦くんと会って、かなり長い時間を話すことに費やしたのに彼のことで解決策は糸口すら見つけられなかった。 けれど、なんとなくわかったことが一つだけあった。今日の唯一の収穫と言ってもいい。 この得体のしれない感情に彼はずっと耐えてきたのかもしれない。そしてそれがじょじょに彼の精神をすり減らし、ついには彼の理性を手放させてしまったんだろう。 私は彼に謝りたい気分になった。その気持ちが私の歩く速度を自然に速めさせた。 |