ジュウイチ

 

 頭が痛い。頭が痛い。頭が痛い。

 いっそのこと斧か何かでカチ割ってしまったほうが楽なんじゃないかとさえ思う。外では雨が降っている。窓に打ちつけられる雨音がたまらなく耳障りだった。

 毎日毎日、うんざりするくらい同じような日々が続いていたけれど、今日は少し違った。僕の家に来客があった。しかも妖精がその男を部屋に招き入れたのだ。

 僕は妖精以外の誰かが家に来たことよりも、妖精が当たり前のようにその客に対応していたことに驚いた。衝撃と言ってもいい。妖精は僕だけにしか見えないと思っていた。ごく自然にそう思いこんでいた。どうやら違ったらしい。

 それを知った途端に僕の中でなんとも形容しがたい感情がうごめいた。怒り? 悲しみ? 似ているけれど少し違う。もっとドロドロした粘着質な感情だ。

 二人は今僕が寝ている部屋の隣にあるキッチンで密談めいた会話をかわしていた。隣と言っても、二つの部屋を隔てているのはうすっぺらなのれん一枚きりなので二人が話していることは難なく聞きとれた。もしかしたら僕が寝入っているとでも思っているのかもしれない。もしくは、僕の存在などハナから気にとめていないか、だ。

「確かにな、俺もちょっと様子が変だとは思ってたよ」
「変?変って………?」

 けれど、なぜか二人の声は雑音のようにしか聞こえない。頭がいつになくぼーっとする。二人が何を言っているのかはわかるのに、何が言いたいのかがわからない。言葉が耳に入ってくるのは確かに感じるのに、言葉の意味がさっぱり理解できない。いったい妖精は何の話をしているんだろう。

 わからない。そう思うほど、さきほどのドロドロとした気持ちの悪い感情が煮えたぎる。もっとよく聞こえるように耳をすました。それでも結果は同じことだった。

「少し前にな、俺に相談にのって欲しいことがあるって言ってきてさ。俺ァ、小学校のころから譲の友達やってるけど、そんなこと言われたのは初めてだったよ」

「ユズルが相談…」

「しかも彼女のことで相談だっていうから、二度驚いたね。別にアイツが今まで女に興味がなかったとか縁がなかったとか言うんじゃないよ?譲はさ、好きな女のコとか付き合っているコがいても、それをあえて俺に教えたり話題にするような奴じゃなかったんだ。それがいきなり深刻な顔して相談にのれって………今考えたらかなりおかしかったよ」

「やっぱり私が原因なの?ユズルがあんな風になっちゃうくらい、私ひどいことしたのかな」

「あの時の譲はやたら取り乱してる感じでさ、相談っていうよりはただメチャクチャにしゃべってるっていうか…わめいているだけみたいだった。アイツこう言ってた。『僕は彼女に嫌われたくないんだ。でも、すでに確実に手遅れだから、せめて憎まれる前になんとかしいんだ。でもどうすればいいのか全然わからないんだ』って。すでに確実に、ってあたりに鬼気迫るものを感じたね」

「私、ユズルのこと嫌ってなんかない!」

「おいおい、俺に言ったってしょうがないだろ。とにかくそう本人が言ってたんだからさ」

「でも、それならどうして?どうして私の名前までわからなくなっちゃうの?」

 体の位置を少し変えてキッチンのほうを見た。のれんと床の五十センチほどの隙間から妖精と男が床に直接座りこんでいるのが見えた。無造作に床の上に置かれた妖精の手と男の手はほんの二、三センチも離れていなかった。もう少しで触れそうなほど近くだ。

 触れそうなほど?

「帰れ」

 思いもかけない言葉が口から漏れた。しかし、僕が驚いたのは言った言葉自体よりも自分の声の大きさだった。腹のそこからあのドロドロした感情が爆発したみたいな、まさに爆音のような声だった。

 二人がいっせいにこちらを見たのが気配でわかった。すぐに妖精がのれんの間から顔をのぞかせる。

「ユズル………?」
 妖精は何かを怖がっているようでもあったし、ただ単に突然の出来事に驚いているようでもあった。とにかくかなり動揺しているのだけはわかった。僕をじっと見ているいつもの顔とは明らかに違った。

 その後男がキッチンからこちらの部屋に入ってきた。その時、僕は初めて今日、僕の家に来た男の顔を見た。見た瞬間、うまく説明できない何かを感じた。男のほうも何か言いたげに口を開いたが結局一言も言葉を発しないまま口をかたく結んだ。

「二度と来るな」
 再び僕の口からこぼれた言葉は決して大声ではなかったけれど、体に響く重低音で、まるで獣がうなり声をあげているみたいだった。いずれにしても僕の意識とは関係なく、勝手に口がしゃべっている感じだった。

 妖精がショックを受けたような表情をした。違う!妖精に言ったんじゃない。言うわけない。妖精にそんなこと。
 そう思った時には僕は
「克也ああぁぁぁぁ」
 それが人名だということくらいわかったけれど、それ以上のことは何もわからなかった。でも僕は力の限りそう叫んでいた。
「二度と、僕の家に来るな」

 男は戸惑っているような視線を妖精に向けた。二人が見詰め合うかたちになる。

 ふざけるな!僕は男を殴りつけてやりたい衝動にかられたけれど、力が入らない。僕は男をにらみつけるにとどめた。

「今日のところは帰ったほうがよさそうだな」
「ごめんね。せっかく来てくれたのに」
 妖精が謝ることなんかない。早く帰れ。帰ってくれ。ここにいていいのは妖精だけなんだ。

 男は、ひたすらにらみつけ続ける僕と申し訳なさそうな顔をする妖精を交互に見比べた後、おとなしく帰っていった。

 再び静寂な時間が戻ってきた。あれほどうるさかった雨もいつの間にかやんでいた。

「杉浦くんのことはわかるんだね」
 妖精がさびしそうにつぶやいた。独り言のようにも聞こえたし、愚痴をこぼしているような口調でもあった。けれど僕は妖精に責められているような気がしてならなかった。

 杉浦なんて知らない。僕の世界には妖精さえいればいいんだ。それで充分なんだ。僕は心の中でいくつも言い訳を並べ立てた。妖精にはひとつも伝わらないことなどよくわかっていながら、それらの言葉を実際に口に出すことはどうしてもできなかった。

 男がいなくなり、またいつものように妖精と二人きりになって、僕は心から安堵し、そして同時にどうしようもない自己嫌悪に襲われた。意味がわからない。理由もわからない。それなのに僕は泣きたくなった。こんな気持ちになったことがずっと前にもあった気がした。

 そうだ。僕は………僕以外のすべての男に嫉妬していた。

 

 

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