サン

 

 目を覚ますと妖精がこちらをのぞきこんでいた。

 目を逸らすことなくじっと僕のことをみているその瞳は僕のことを心配しているように見えたが、せわしなく繰り返されるまばたきは僕とどう接すればいいのかわからずうろたえているようだった。

 妖精は不規則に僕の部屋にやってくる。いつ来るかはわからない。いつ来たかもわからないことが多い。
 一日の大半を寝てすごしている僕が玄関の扉が開く音や、鍵穴にカギがさし込まれる、あのガチャリという音を聞くことはまれだ。夢とも現実ともつかない浅い眠りから覚めると、いつの間にか隣に妖精がいて、僕のことをじっと見ていたりする。

「ご飯作ったの。食べる?」

 僕は無言のまま、うなずくことすらしなかった。悲しそうな顔をする妖精に、もちろん食べたい、と言えればどんなにいいかと思う。でも、どんなものでも今は食べたくなかった。その『今』というのはもうずいぶん前からずっと続いている。

 反応のない僕のことをしばらく妖精も無言で見ていたが、立ち上がってキッチンへ向かった。
 キッチンといっても、今僕の寝ているこの狭い部屋のよりもさらに狭いスペースしかなく、玄関と一続きになっているため家のドアをあけると外から丸見えのずいぶん簡素な場所だった。たいした調理器具もないその場所から妖精は手品かなにかのように、美味しいものを作りだす。

 かつては僕もそれを美味しく食べていた気がする。ずいぶん昔のことのように思える。実際昔のことなのかもしれない。あるいは、そんなことは一度もなくてただ僕の夢か妄想にすぎないのかもしれない。よくわからない。

 動物というのは生きるためには食べなければならない。イコール、食べなければ死んでしまう。
 僕だって別に腹がへらないわけじゃない。ものを食べたくなくなってから常に空腹だと言ってもいい。ただ、食べる、という行為そのものが言葉通り吐き気がするほど嫌なんだ。

 それは何を食べても美味しく感じなくなったというのも理由の一つだし、徐々にやせ細っていく自分の腕や脚を眺めていると、このまま放っておけばもしかしたら少しずつ僕という存在が薄れていって、そのうち世界からいなくなれるんじゃないか……そんなことを考えているからだろう。

 どうして消えたい、なんて否定的で生産性の皆無な考えに恍惚となるのか、少し前は不思議でしょうがなかったけれど、最近ではそんなことはどうでもよくなっている。空気に溶けるように自然にいなくなることができたらどんなにいいだろう。そう切に願うだけだ。

 妖精はおかゆのようなものをおぼんにのせて戻ってきた。難儀そうにかんだり飲み込んだりしている僕を見かねたのか、最近妖精が作るものはシチューとかスープのように流動食に近いものばかりだ。それでも僕はたいてい半分以上残してしまう。時には一口も食べないこともある。

 気力をなんとか振り絞って布団から起き上がる。けれど、おかゆのすぐ横に置いてあるスプーンにどうしても手がのびなかった。

 そんな僕を妖精はじっと見ている。まるでずっと見つめていれば、僕が食べてくれるとでも思っているような、そんなひたむきさだ。

 妖精は何のために存在するのだろうか。どうしてここにいるんだろうか。

 ふとそんなことを考えた。僕のためだろうか。僕は妖精にずっとそばにいて欲しいと思う一方でこうして妖精に見られているとどうしようもない息苦しさを感じる。

 目が覚めた時に妖精が目の前にいると、根拠のない罪悪感と恐怖にも似た焦燥感に襲われる。それでも部屋に独りきりだとわかった瞬間の孤独感と疎外感はとても耐えがたく、狂ったように叫び出したい気持ちにさえなる。

 そんな時は、妖精に会いたい妖精に会いたいとひたすら布団の中で縮こまりながら思う。
 

 妖精と目が合った。
 なぜか、妖精にひどい仕打ちをしている気分になる。僕はすぐに目を逸らした。

 

 

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