イライラにはカルシウム、という常套句が頭の中をよぎったので私はコンビニに駆け込んだ。
           
            雑誌にも菓子パンにも目もくれず、五百ミリリットルの牛乳パックを買うと、出入り口のドアを開けた瞬間にストローの袋を破って、容器に差し込み、チューチューゴーゴー言わせながら飲み干した。
           ふう、と声を意識的に出してみた。打ち上げの席でビールの最初の一口を飲んだみたいな、そんな声。なのに、爽快感は身体のどこからも湧いてこない。
           いまいちだ。
           牛乳は並んでいる中で一番高いヤツを選んだだけあって、美味しかった。牛乳は濃いものに限る。低脂肪乳なんて水に絵の具を溶かし込んだみたいに味気ない。
           しかし、いまいちだ。私が今、欲しいのは味わい深さとか風味とかコクなんてものとは違う。
             種類が違う。いや、次元が違う。 
            
           冷たいものを一気に飲み込んだせいか、痛みというほどのものでもないけれど、鈍痛よりももっと手前の違和感が腹部のあたりをぐるぐるしてる。
            諦めきれなかったので、帰りに閉店間際のスーパーに駆け込んだ。 
            
           イライラにはカルシウム。どういう根拠があるのかなんて知らないけど、みんなが口を揃えて言うからには何かしら科学的なメカニズムが身体の中で起こるんだと思う。私のイライラは五百ミリリットルの牛乳じゃ対処しきれないらしい。 
             だから牛乳にはもう興味がない。 
            
           目についたのはじゃこ。
             赤と黄色のツートンカラーのシールで三十円引きであることを自己主張するじゃこを一パック購入した。 
           牛乳同様に、店を出てその場で開封しようと思ったけど、常識人ぶりたい私が自分で自分を制止する。路上で飲み物は余裕でセーフだけれども、食べ物はアウトじゃない?
           ファストフードならともかく、じゃこ、だし。じゃこを道端で貪る年頃の娘? いただけないよ、それは。 
            
           仕方なしに、競歩の選手を目指してるつもりになって、脚を動かした。
             いっそのこと駆けだしちゃえばいいのかもしれないけれど、深夜にこんなひらひらのスカート履いた女が走ってたら痴漢の被害者に間違われちゃう。 
          
           玄関のドアを開けるのがこんなにもどかしいのは久しぶりだ。
             キーホルダーと鍵が擦れてチャリチャリ言う音がうるさい。ホントに何者かに襲われているみたいに余裕のない動作で鍵を開けて素早く自宅に滑り込む。 
             かばんをその辺に放り出し、テレビの前のローテーブルにスーパーの袋から中身を出す。 
            
           無心で食べた。じゃこを。 
            
           無心、とはこういうことか、と悟りをひらけそうな境地だ。 
             この塩気、歯ごたえ、手で食べるみみっちいスタイル。 
             いいね。これは中々にいい。 
            
           イライラが溶けていく。霧散していく。 
             驚くほど効果的だ。
           もしかして『イライラにはカルシウム』じゃなくて『イライラにはじゃこ』だったのかも。そんなことまで頭をよぎる。 
             このイライラの消失具合は爽快感と呼ばずになんと呼ぼう。 
             しかし、効果絶大だったことで別の不安がふとよぎる。 
          
           このままでは、じゃこジャンキーになってしまう。 
             小魚はいかにも栄養がありそうだが、塩気を含んだ口中が水分を求めるので、冷蔵庫にあったペットボトルのお茶をがぶ飲みしてしまった。渋めにいれた緑茶の、清涼感と深みのある味わいが舌にわだかまる塩っけの名残とうまく中和してとてもイイ。 
            
           あまりにもよすぎて、このままでは残りのだいぶ余りに余っている余生をじゃことお茶ですごしてしまいそうだ。 
             全てを平らげても、ああ、まだ食べたりない気がする。じゃこじゃこじゃこ。 
            
           財布をつかみ、再びスーパーに駆け込もうとしたけれど、壁の時計を見たら営業時間は約二分ほどしか残っていなかった。短距離走世界記録を樹立できるだけの身体能力も瞬間移動のスキルも持ち合わせていないことが無念だ。 
          
           熱いシャワーを浴びてすぐに寝てしまおうかとも思ったけれど、この口寂しい気持ちを和らげるにはあと何かパンチの利いた一口が必要だった。 
            
           冷蔵庫からタッパーを取り出してうめぼしを一粒口に放り込む。 
             果肉を唾液だけで溶かすように、口の中でゆっくりと転がした。 
            
           イライラは消えてくれたけれども、胸の底の方に残っていた切なさの存在がじわじわ思い出される。 
             ああ、あの人に会いたい。 
            
             さっき無造作に放り投げた鞄をそっと引き寄せる。そこから携帯電話を取り出した。 
             ケンカしてしまったあの人に「ごめん」と、ただ一言伝えるために。 
         もし、まだあの人の怒りがおさまっていなかったら、朝イチでスーパーに駆け込んでじゃこを買おう。
 そしてその足であの人に会いにいこう。そう決めた。
        
            あとがき
            この小説はスピッツの『うめぼし』という曲を聴きながら書きました。
            たしか、ものすごーく小さい頃に耳にしたんですが、未だに強烈なインパクトのある曲だと思っています。
            うめぼしたべたぁーーーーーーーーい。うめぼしたべたーい。僕はぁ今すぐ君に会いたい―。
            という感じの曲なんですよ。
            意味わかんなくね? と思いつつ、ああ、なんだかわかる。と相反する感情を同時に抱いてしまいます。
            ところで、つまらないことが原因のケンカって、たいて空腹時に起こると思いませんか。
            「腹満たされずして、心満たされず」という言葉があるんですが、生きているものの心理だと思います。